佐賀旅行                              (佐賀市〜嬉野〜武雄〜有田〜伊万里〜呼子〜唐津) 2日目 その②

2023.2.8(火) 武雄→有田→伊万里呼子唐津 その②

 朝から有田、伊万里を見学してまわり、時刻は12時30分。この後は佐賀県北部へ移動して呼子イカを食べに行きます。

 西九州自動車道を北上して一般道に入り、走ること伊万里から1時間弱。呼子大橋が見えてきました。青空と海がきれい。イカのお店の看板が出てきます。

 

 

 

 大規模なレストラン、小さな地元のお店などイカを食べられるお店はいろいろあるようなのですが、時間も13時半、通常のランチタイム営業のお店に入るには少し遅いので、一般的でお昼の営業時間も長い「萬坊」に行くことにしました。

 駐車場に車を停めて桟橋の入り口まで行くと、満席の看板が。いったん店内で予約して携帯電話の番号を伝えておくと、空き次第呼び出してもらえるシステムです。

駐車場は他府県ナンバーの車や、わたしたちのようなわナンバーのレンタカーでいっぱい。穏やかな海をみながらボーッとして待っていたらいいので待つのも苦になりませんでした。でももし雨天だったら景色も悪く、桟橋を行ったり来たりするのもちょっとキツイかな。今日はありがたいことでした。

 

 予定より早く20分ぐらいで呼び出しがあり、スムーズに店内に入れました。

イカコース3,300円を注文。お刺身もよかったですが、コースの途中で揚げたてを持ってきてくださる天ぷらが量もあってとても美味しかったです。ご飯はおかわりができます。満腹になれました。

 こちらのお店は海中レストランとして1983年開店とのことですので、すでに40年。2019年からはJR九州のグループ会社になっておられるそうです。

店内はさすがに年季が入ってるなと感じる部分もありましたが、接客は過不足なくきちんとしてくださいます。観光客が気軽に入れるお店でした。

 

 

 昼食を済ませて、いよいよ今回ぜひ見てみたかった場所、名護屋城跡へ。萬坊からは車で10分足らず。伊万里から来た道を戻る方向です。

 

 「名護屋城」は豊臣秀吉による朝鮮出兵文禄・慶長の役)の出兵拠点として築かれた城で、1592年の開戦から秀吉の死によって廃城になるまで7年間にわたり大陸侵攻の拠点となりました。城の面積は大阪城に次ぐ規模の17万平方㍍(東京ドーム3.6個分)、五重七階の天守閣を備えた城で、周囲には130とも160ともいわれる数の諸大名が結集して陣屋を築き、全国から武士や商人20万人が集まった一大軍事都市であったとされています。

 現在の唐津市鎮西町呼子町東松浦郡玄海町にまたがる半径3キロのこの「名護屋城跡並びに陣跡」は国の特別史跡に指定されています。

 秀吉の死によって日本軍は大陸から撤退し勝敗は未決着のまま戦いは終息しましたが、このとき朝鮮半島から連れて来られた優れた技能を持つ陶工たちによって作陶が広められ、有田焼などが始まったということです。

午前中有田で学んできた、陶工李参平たちのことですね。もしこの戦がなければ有田焼の歴史は違ったものになっていたのでしょうか。

 

 名護屋城跡に入るのは、入場料は無料でガイドマップがいただけました。任意での協力金として大人1人100円を募っておられましたが、広大な敷地にもかかわらず樹木や下草刈りなどもきちんと整備されており、もっと値上げしていただいてもいいぐらいだと思いました。

 

 天守台跡から見る玄海灘。ここから出陣していったのですね。  名だたる大名の陣屋。

 秀吉晩年の夢の城。幻の城。

一番遠方からの大名は蝦夷松前藩から。仙台の伊達政宗も来ています。わずか8ヶ月で完成したと言われる城と都市からは、当時近親者を次々と失い失意のなか徐々に暗転していく諸状況にあったとはいえ、まだなお保ち続ける秀吉の権力を思い知らされます。

かつては敵だった大名同士も、ともに戦うために結集させられた不思議な場所。それぞれどんな思惑でここにいたのでしょう。

 しかし今、城は石垣などの遺構をわずかに残すだけ。当時のロンドンの全人口を超える20万人の人で賑わったという城下町も、今はそれが信じがたい静けさ。海が迫る山地にどのような街づくりが展開していたのか見てみたくなりました。

 

 じわじわと想像力をかき立てられる光景にひたった後は、道路を挟んで向かい側の佐賀県名護屋城博物館へ。

平成5年の開館ということですが、とてもきれいで立派な建物。展示物も古びた印象は全く無く、随時中身を改訂していっておられるのでしょうか。

正面に大きな名護屋城と城下町の模型があって、その周りを左回りにぐるりと進んでいくと、名護屋城以前、名護屋城について、名護屋城以降と時代を追っていく形で展示があり、とてもわかり易いです。

コンセプトとして名護屋城の解説のための博物館というよりは、日本と朝鮮半島との交流史という大きなテーマのもと、そのなかの重要なエポックの一つに名護屋城があるというまとめ方をされていると感じました。とても勉強になりました。

 そしてまたまたまたまた驚いたのが、ここも常設展示は入館無料!もちろん駐車場も無料。

午前中の佐賀県立九州陶磁文化館といい、名護屋城跡といい、佐賀県は文化の普及のためには公費を惜しまないところなのだなと感激してしまいました。ありがとうございました。



こちらこそありがとうですよ、ほんまに。

 

 時刻は16時前。少しずつ写真の人影が長くなってきました。

今日、もう一箇所回りたいところ、唐津くんちの曳山展示場へ急ぎます。

今は唐津市に合併されている鎮西町名護屋城のあるところ)ですが、旧唐津市街までは車で30分ほどかかるようです。曳山展示場は17時閉館なので急ぎましょう。

 唐津市街にスムーズに入れましたが、ここで問題発生。

カーナビどおりに進むも「曳山展示場前」の道路表示の場所に建物がない?? 慌てて曳山展示場のHPで調べると「展示場建て替えのため一時移転中」となっています。移転場所のふるさと会館アルピノという施設を改めてカーナビに入れましたが、市街地はやたらと道路工事が多く進行に制限があってナビどおり進めず、同じところをぐるぐるグルグル(^_^;)

時間も迫ってくるので、展示場にお電話して「行きたいのに行けませ〜ん」と泣きついたところ、電話に出ていただいた女性スタッフの方が、そこから10分以上ずっとナビゲイトしてくださって無事たどり着くことができました。

閉館前にギリギリ駆け込むご迷惑な客に、本当に親切に対応していただきありがとうございました。

 曳山展示場は、唐津神社の秋季例大祭である唐津くんちの曳山を年中保管展示している会館です。入館料は大人310円でした。駐車場は隣接コインパーキングでしたが100円ぐらいでした。

 中に入っていきなりガラス越しに大大迫力の曳山14台が並んでいます。想像していたより随分大きい。そしてどれも色鮮やか。すごい!とわーわー騒いでいたら、親切なナビゲイトのスタッフの方が、2階からだともっとみやすいですよと教えてくださいました。

 確かに2階からだと全基がよく見渡せて壮観です。さらに2階には年表や絵巻など唐津くんちの歴史にまつわる資料が展示されていたり、祭りの様子のドキュメントのようなビデオが放映されていました。

 このビデオが素晴らしい。少し古い映像のようではありましたが、神社での神事の様子や、大きな曳山が頭の部分を上手に振って低いアーケードをくぐり抜ける様子、どうやって撮ったの?と思うような曳き手の足元目線のローアングルで疾走する映像など、唐津の人々のくんちに懸ける熱いエネルギーが伝わってくるビデオでした。

1階から。
2階から。壮観。            
                      このビデオに、感動してちょっと泣く(^_^;)

 14台の曳山は、一番古いものは文政2年(1819年)に奉納され、新しいものでも明治9年(1876年)に製作されたとのこと。以来、順番に補修を繰り返しながらずっと守り継いでおられるそうです。

 毎年、唐津くんちの11月2日、3日、4日の3日間は唐津市内は人で溢れ、スタッフの方によると唐津市内の宿泊施設は当然どこも満室になるので、福岡に宿をとって電車で見に来る方が多いとのことでした。

 一度は見に来たい、いえ来ます、絶対と思いながら17時前まで観せていただいて退館しました。建て替え中の新しい曳山展示場は令和7年に完成予定だそうです。

 

 18時のレンタカー返却までまだ時間があるので、ふるさと会館アルピノのお土産売り場をチラと見た後、街中にある旧唐津銀行本店を見学に行きました。

 旧唐津銀行本店は、唐津市出身の建築家辰野金吾監修のもと弟子の田中実が設計した華やかな洋風建築で明治45年(1912年)に竣工しました。1階は営業室や応接室が見学でき、2階には近代建築についての模型や辰野金吾についての資料が展示されています。こちらも入場無料。18時まで開館されていて、平日の夕方なのに他の見学者の方も7.8人おられました。

 辰野金吾。昨日見た武雄温泉の楼門の設計者ですね。昨日は近代建築の父という説明を書きましたが、今日ここで知ったことを加えますと、下級武士の出身ながら勉学に励み、自らが建築家として活躍するだけでなく後進の指導にも励み、日本人初の建築学科教授として日本の建築学の基礎を作り、日本に建築家という職業を確立させた人物だそうです。弟子の設計によるこの銀行は正にその象徴だと思います。

 

美しい外観。                             



 佐賀県には、昭和の後半になって「七賢人」とまとめて呼ぶようになった明治維新前後の偉人たちがおられるそうですが、その後の時代にも続々と立派な功績を残された方が出ておられる県なのですね。

昨日今日と周らせていただいて知った、佐賀県の堅実で学習に熱心な風土、気質がその偉業の土壌になっているように感じました。

 

 となれば、さらにもう一箇所、唐津城を見たいものですが、すでに17時40分を回っています。入城は無理でも一目風景だけでもとお城のそばまで行って、駐車場からなんとか見させていただきました。三方を海と川に囲まれた美しい城でした。桜の樹が駐車場にもありましたので、春の桜の頃にはさぞ美しい景色になるのでしょうね。

地下道から入れるんですね。                   
駐車場から。               西に沈む夕日。

 

 ギリギリ18時前、トヨタレンタカー唐津駅通り店に車を返しに行きました。満タン返しするためのガソリンスタンドを見つけられなかったので、現金でお支払いしました。

お泊りは?と聞いてくださったので、遠くならきっと送ってくださるのでしょう。ありがたいサービスです。

でも、私たちの今日の宿泊は、トヨタレンタカーさんと目と鼻の先の唐津第一ホテル。もう、そこに見えてます(^_^;) 歩かせていただきました。

 

 早朝から車のおかげで詰め詰めのスケジュールをこなして、いろんなところを巡ることができました。運転お疲れさまでした。ありがと。

 

 

 あとはホテルにチェックインして、荷物を置いて夕食に出かけます。

 ホテルから歩いて10分ほどの炭火焼肉点(ともる)中町店に行きました。手軽に佐賀牛をいただけるお店でした。仕切りがあってお隣の様子などはよくわからないのですが、いろんな年代層のいろんなタイプのグループが来られているようで平日ですが盛況でした。予約しておいてよかったです。

お腹いっぱい食べました。

 

 満腹になったあとはぶらぶら散歩してホテルに戻りました。その日の天候にもよるのかも知れませんが、昨夜歩いた武雄よりかなり寒かったです。海に面しているからでしょうか?

どちらも曳山が2階から見られるような仕様ですね。
レトロ感がいいな。ここもきっと曳山が駆け抜ける。 駅前の曳山像。立派。唐津焼だそう。


 盛りだくさんの一日が無事終了しました。

もう、情報量が多すぎるぐらいいろんな所へ行ってたくさんのものを見たので、とりあえずゆっくり寝て頭にインプットします。お疲れ様でした〜。

 明日はもう帰宅します。

                       (佐賀旅行3日目 に続きます。)