佐賀旅行 (佐賀市〜嬉野〜武雄〜有田〜伊万里〜呼子〜唐津) 3日目
2023.2.9(水) 唐津→自宅
今日もお天気は大丈夫そうです。と言っても今日は10時17分唐津発の電車に乗って自宅へ帰るだけの予定です。
その前に、6時半からホテルの朝食を食べて、昨日行けなかった唐津神社に行ってみました。唐津第一ホテルからは徒歩で10分程度。ちょうどいい朝の散歩です。
途中、ホテル近くの唐津市役所の周りに堀と石垣がありました。説明の看板によると唐津城の三の丸と外曲輪(商人の町)の間の堀を同じ場所に復元したものだそうです。昨夕行ったお城の本丸は車で何分もかかる随分離れたところだったので、城下の広さが伺い知れます。
そして、いよいよ唐津神社へ。
大変立派な神社でした。こちらも、一昨日行った武雄市御船山の武雄神社と同じく神功皇后の三韓征伐に纏わる言い伝えが御由緒の歴史ある神社。
白い大きな鳥居、美しく整えられた境内、神聖でありながらなぜか親しみやすく元気をいただけるような気が溢れていました。唐津くんちの14基の曳山の絵馬?看板?もありました。
ホテルに戻り少しのんびりした後、8時30分頃チェックアウト。歩いて唐津駅に向かいます。
駅に到着。いよいよ唐津ともお別れです。
博多駅で少し時間をとっておいたので、ここで職場などへの佐賀のお土産を買います(^_^;)。便利です。
マイングの中に佐賀のお菓子屋さん村岡屋さんが入っているので、初日の佐賀駅でお試しに買ってみておいしかった「さが錦」を大量買いしました。特に季節限定のみかん味が美味しかったです。
あとは、お弁当を買って新幹線に乗るだけです。
楽しかった佐賀県。本当にいいところでした。初佐賀🔰だったので、今回実際に行ってみてまだまだゆっくり見てみたいところがたくさん見つかりました。
また、もっとしっかり勉強してから訪問すれば理解が深まって楽しめただろうなと思うこともありました。
しっかり学んでから、唐津くんちも絡めてぜひ再訪したいと思います。
帰宅して、ほっこり。買ってきた嬉野茶と小城羊羹をいただきました。シャリシャリ食感、なんて美味しいんだこの羊羹。
今度は、長崎から佐賀、福岡へと、南蛮から砂糖文化が伝えられたシュガーロードをたどる旅にも行ってみたいです。
また、いつか(^_^)/~
(佐賀旅行 終わり)
佐賀旅行 (佐賀市〜嬉野〜武雄〜有田〜伊万里〜呼子〜唐津) 2日目 その②
2023.2.8(火) 武雄→有田→伊万里→呼子→唐津 その②
朝から有田、伊万里を見学してまわり、時刻は12時30分。この後は佐賀県北部へ移動して呼子のイカを食べに行きます。
西九州自動車道を北上して一般道に入り、走ること伊万里から1時間弱。呼子大橋が見えてきました。青空と海がきれい。イカのお店の看板が出てきます。
大規模なレストラン、小さな地元のお店などイカを食べられるお店はいろいろあるようなのですが、時間も13時半、通常のランチタイム営業のお店に入るには少し遅いので、一般的でお昼の営業時間も長い「萬坊」に行くことにしました。
駐車場に車を停めて桟橋の入り口まで行くと、満席の看板が。いったん店内で予約して携帯電話の番号を伝えておくと、空き次第呼び出してもらえるシステムです。
駐車場は他府県ナンバーの車や、わたしたちのようなわナンバーのレンタカーでいっぱい。穏やかな海をみながらボーッとして待っていたらいいので待つのも苦になりませんでした。でももし雨天だったら景色も悪く、桟橋を行ったり来たりするのもちょっとキツイかな。今日はありがたいことでした。
予定より早く20分ぐらいで呼び出しがあり、スムーズに店内に入れました。
イカコース3,300円を注文。お刺身もよかったですが、コースの途中で揚げたてを持ってきてくださる天ぷらが量もあってとても美味しかったです。ご飯はおかわりができます。満腹になれました。
こちらのお店は海中レストランとして1983年開店とのことですので、すでに40年。2019年からはJR九州のグループ会社になっておられるそうです。
店内はさすがに年季が入ってるなと感じる部分もありましたが、接客は過不足なくきちんとしてくださいます。観光客が気軽に入れるお店でした。
昼食を済ませて、いよいよ今回ぜひ見てみたかった場所、名護屋城跡へ。萬坊からは車で10分足らず。伊万里から来た道を戻る方向です。
「名護屋城」は豊臣秀吉による朝鮮出兵(文禄・慶長の役)の出兵拠点として築かれた城で、1592年の開戦から秀吉の死によって廃城になるまで7年間にわたり大陸侵攻の拠点となりました。城の面積は大阪城に次ぐ規模の17万平方㍍(東京ドーム3.6個分)、五重七階の天守閣を備えた城で、周囲には130とも160ともいわれる数の諸大名が結集して陣屋を築き、全国から武士や商人20万人が集まった一大軍事都市であったとされています。
現在の唐津市鎮西町・呼子町・東松浦郡玄海町にまたがる半径3キロのこの「名護屋城跡並びに陣跡」は国の特別史跡に指定されています。
秀吉の死によって日本軍は大陸から撤退し勝敗は未決着のまま戦いは終息しましたが、このとき朝鮮半島から連れて来られた優れた技能を持つ陶工たちによって作陶が広められ、有田焼などが始まったということです。
午前中有田で学んできた、陶工李参平たちのことですね。もしこの戦がなければ有田焼の歴史は違ったものになっていたのでしょうか。
名護屋城跡に入るのは、入場料は無料でガイドマップがいただけました。任意での協力金として大人1人100円を募っておられましたが、広大な敷地にもかかわらず樹木や下草刈りなどもきちんと整備されており、もっと値上げしていただいてもいいぐらいだと思いました。
秀吉晩年の夢の城。幻の城。
一番遠方からの大名は蝦夷の松前藩から。仙台の伊達政宗も来ています。わずか8ヶ月で完成したと言われる城と都市からは、当時近親者を次々と失い失意のなか徐々に暗転していく諸状況にあったとはいえ、まだなお保ち続ける秀吉の権力を思い知らされます。
かつては敵だった大名同士も、ともに戦うために結集させられた不思議な場所。それぞれどんな思惑でここにいたのでしょう。
しかし今、城は石垣などの遺構をわずかに残すだけ。当時のロンドンの全人口を超える20万人の人で賑わったという城下町も、今はそれが信じがたい静けさ。海が迫る山地にどのような街づくりが展開していたのか見てみたくなりました。
じわじわと想像力をかき立てられる光景にひたった後は、道路を挟んで向かい側の佐賀県立名護屋城博物館へ。
平成5年の開館ということですが、とてもきれいで立派な建物。展示物も古びた印象は全く無く、随時中身を改訂していっておられるのでしょうか。
正面に大きな名護屋城と城下町の模型があって、その周りを左回りにぐるりと進んでいくと、名護屋城以前、名護屋城について、名護屋城以降と時代を追っていく形で展示があり、とてもわかり易いです。
コンセプトとして名護屋城の解説のための博物館というよりは、日本と朝鮮半島との交流史という大きなテーマのもと、そのなかの重要なエポックの一つに名護屋城があるというまとめ方をされていると感じました。とても勉強になりました。
そしてまたまたまたまた驚いたのが、ここも常設展示は入館無料!もちろん駐車場も無料。
午前中の佐賀県立九州陶磁文化館といい、名護屋城跡といい、佐賀県は文化の普及のためには公費を惜しまないところなのだなと感激してしまいました。ありがとうございました。
時刻は16時前。少しずつ写真の人影が長くなってきました。
今日、もう一箇所回りたいところ、唐津くんちの曳山展示場へ急ぎます。
今は唐津市に合併されている鎮西町(名護屋城のあるところ)ですが、旧唐津市街までは車で30分ほどかかるようです。曳山展示場は17時閉館なので急ぎましょう。
唐津市街にスムーズに入れましたが、ここで問題発生。
カーナビどおりに進むも「曳山展示場前」の道路表示の場所に建物がない?? 慌てて曳山展示場のHPで調べると「展示場建て替えのため一時移転中」となっています。移転場所のふるさと会館アルピノという施設を改めてカーナビに入れましたが、市街地はやたらと道路工事が多く進行に制限があってナビどおり進めず、同じところをぐるぐるグルグル(^_^;)
時間も迫ってくるので、展示場にお電話して「行きたいのに行けませ〜ん」と泣きついたところ、電話に出ていただいた女性スタッフの方が、そこから10分以上ずっとナビゲイトしてくださって無事たどり着くことができました。
閉館前にギリギリ駆け込むご迷惑な客に、本当に親切に対応していただきありがとうございました。
曳山展示場は、唐津神社の秋季例大祭である唐津くんちの曳山を年中保管展示している会館です。入館料は大人310円でした。駐車場は隣接コインパーキングでしたが100円ぐらいでした。
中に入っていきなりガラス越しに大大迫力の曳山14台が並んでいます。想像していたより随分大きい。そしてどれも色鮮やか。すごい!とわーわー騒いでいたら、親切なナビゲイトのスタッフの方が、2階からだともっとみやすいですよと教えてくださいました。
確かに2階からだと全基がよく見渡せて壮観です。さらに2階には年表や絵巻など唐津くんちの歴史にまつわる資料が展示されていたり、祭りの様子のドキュメントのようなビデオが放映されていました。
このビデオが素晴らしい。少し古い映像のようではありましたが、神社での神事の様子や、大きな曳山が頭の部分を上手に振って低いアーケードをくぐり抜ける様子、どうやって撮ったの?と思うような曳き手の足元目線のローアングルで疾走する映像など、唐津の人々のくんちに懸ける熱いエネルギーが伝わってくるビデオでした。
14台の曳山は、一番古いものは文政2年(1819年)に奉納され、新しいものでも明治9年(1876年)に製作されたとのこと。以来、順番に補修を繰り返しながらずっと守り継いでおられるそうです。
毎年、唐津くんちの11月2日、3日、4日の3日間は唐津市内は人で溢れ、スタッフの方によると唐津市内の宿泊施設は当然どこも満室になるので、福岡に宿をとって電車で見に来る方が多いとのことでした。
一度は見に来たい、いえ来ます、絶対と思いながら17時前まで観せていただいて退館しました。建て替え中の新しい曳山展示場は令和7年に完成予定だそうです。
18時のレンタカー返却までまだ時間があるので、ふるさと会館アルピノのお土産売り場をチラと見た後、街中にある旧唐津銀行本店を見学に行きました。
旧唐津銀行本店は、唐津市出身の建築家辰野金吾監修のもと弟子の田中実が設計した華やかな洋風建築で明治45年(1912年)に竣工しました。1階は営業室や応接室が見学でき、2階には近代建築についての模型や辰野金吾についての資料が展示されています。こちらも入場無料。18時まで開館されていて、平日の夕方なのに他の見学者の方も7.8人おられました。
辰野金吾。昨日見た武雄温泉の楼門の設計者ですね。昨日は近代建築の父という説明を書きましたが、今日ここで知ったことを加えますと、下級武士の出身ながら勉学に励み、自らが建築家として活躍するだけでなく後進の指導にも励み、日本人初の建築学科教授として日本の建築学の基礎を作り、日本に建築家という職業を確立させた人物だそうです。弟子の設計によるこの銀行は正にその象徴だと思います。
佐賀県には、昭和の後半になって「七賢人」とまとめて呼ぶようになった明治維新前後の偉人たちがおられるそうですが、その後の時代にも続々と立派な功績を残された方が出ておられる県なのですね。
昨日今日と周らせていただいて知った、佐賀県の堅実で学習に熱心な風土、気質がその偉業の土壌になっているように感じました。
となれば、さらにもう一箇所、唐津城を見たいものですが、すでに17時40分を回っています。入城は無理でも一目風景だけでもとお城のそばまで行って、駐車場からなんとか見させていただきました。三方を海と川に囲まれた美しい城でした。桜の樹が駐車場にもありましたので、春の桜の頃にはさぞ美しい景色になるのでしょうね。
ギリギリ18時前、トヨタレンタカー唐津駅通り店に車を返しに行きました。満タン返しするためのガソリンスタンドを見つけられなかったので、現金でお支払いしました。
お泊りは?と聞いてくださったので、遠くならきっと送ってくださるのでしょう。ありがたいサービスです。
でも、私たちの今日の宿泊は、トヨタレンタカーさんと目と鼻の先の唐津第一ホテル。もう、そこに見えてます(^_^;) 歩かせていただきました。
早朝から車のおかげで詰め詰めのスケジュールをこなして、いろんなところを巡ることができました。運転お疲れさまでした。ありがと。
あとはホテルにチェックインして、荷物を置いて夕食に出かけます。
ホテルから歩いて10分ほどの炭火焼肉点(ともる)中町店に行きました。手軽に佐賀牛をいただけるお店でした。仕切りがあってお隣の様子などはよくわからないのですが、いろんな年代層のいろんなタイプのグループが来られているようで平日ですが盛況でした。予約しておいてよかったです。
満腹になったあとはぶらぶら散歩してホテルに戻りました。その日の天候にもよるのかも知れませんが、昨夜歩いた武雄よりかなり寒かったです。海に面しているからでしょうか?
盛りだくさんの一日が無事終了しました。
もう、情報量が多すぎるぐらいいろんな所へ行ってたくさんのものを見たので、とりあえずゆっくり寝て頭にインプットします。お疲れ様でした〜。
明日はもう帰宅します。
(佐賀旅行3日目 に続きます。)
佐賀旅行 (佐賀市〜嬉野〜武雄〜有田〜伊万里〜呼子〜唐津) 2日目 その①
目覚めると、天気予報通り快晴。ありがたいことです。
ホテルの朝食バイキングを美味しくいただいて、7時50分チェックアウトしました。
今日の移動は、レンタカー。行程を考えたときどうしても電車、バスではまわりきれなさそうだったので、レンタカーを予約しておきました。武雄で借りて唐津で乗り捨てします。便利なシステムです。
トヨタレンタカー武雄温泉駅前店。駅のすぐ前の便利なところにあり、スタッフの方々も皆さん親切丁寧。いい気持ちでの一日のスタートになりました。
車で西に走ること約20分、有田の街に入りました。
辺りの雰囲気が一気に変わり、街道沿いに歴史のありそうな「陶器」や「窯元」の看板のお店が立ち並んでいます。わくわくする気分。
長崎県立大学の2019年の調査では、有田町では大小合わせて152軒のやきもの工房が操業しているそうです。
時間は午前8時30分。まずはこの時間から見学させていただける窯元を調べて、有田駅を通りすぎ北に進んだところにある源右衛門窯に行きました。
源右衛門窯は、創業260年余、有田焼を代表する三大窯の一つです。また三大窯の中で唯一工房を見学させてくださる窯元とのことで、敷地内のいろいろな施設を見せていただきました。
展示所の中には、買ってみたいなと思えるお値段のものから、鑑賞させていただいて思わずため息が出るような素晴らしい芸術作品まで数多くの作品が展示されていました。この季節らしい立派な立ち雛や、JR九州の観光寝台列車「ななつ星」の装飾品として制作されている洗面鉢もありました。洗面鉢は青地に白い点が配された気品と温かみあふれるお品でした。
また、展示所内には係員の上品な女性の方が、鑑賞の邪魔にならないように、でも質問があればいつでも伺いますといった様子で控えておられました。もちろん商品の管理ということで配置されておられるのでしょうが、それ以上のもの、おもてなしの気持ちやブランドの品格や矜持といったものを体現されているような佇まいがとても素敵でした。朝の8時からご苦労さまでございますとお礼を申し上げたくなりました(^_^;)
目と心の保養をさせていただいたところで、次は佐賀県立九州陶磁文化館に向かいます。源右衛門窯から車で10分弱走った小高い丘の上にありました。
丘から、あちこちに窯の煙突が立つ街が一望できます。写真を取り忘れて、残念。
こちらは2022年4月にリニューアルオープンされたそうで、とてもきれいな博物館でした。
中国・朝鮮の強い影響のもと、日本の、とりわけ九州の陶磁器がどのように発展してきたか、古代から近代までの流れがとても詳しくわかりやすく解説されていました。新しい博物館だけあって映像やライティングなども様々な工夫がなされていて大変みやすいなあと感じました。
有田市の姉妹都市ドイツのマイセンから有田市に昭和61年に寄贈された鐘も展示されており定時の自動演奏を聴かせていただきました。ちなみに、ヨーロッパでは18世紀初頭にマイセン窯での焼成に成功するまで磁器を生産することができなかったので、貴族や富裕層の間で中国磁器や肥前磁器などの東洋磁器が大変愛好されたそうです。
このように、こちらの博物館で、今まで知らなかった九州の磁器の長い歴史と価値をまとめて学ばせていただくことができました。来てよかったです。
そしてなにより驚くのは、常設展だけなら観覧料は無料! 事前に無料とは知っていたので、それなりの展示なんだろうなと思いながら来てみたのですが、いやいやその充実ぶりに驚きました。
陶磁器の歴史についてすでに詳しく知識がある方にはどう見えるのかわかりませんが、広く浅く一気に知識を得たい者にはぴったりの施設でした。お薦めです。
佐賀県立九州陶磁文化館を出て、もう一箇所は磁器の販売所を見てみたいと思い、有田市に入って最初に通ったお店の立ち並ぶ街道へ戻ってきました。大変たくさんのお店があり迷いましたが、敷地内に駐車場をお持ちの香蘭社に行きました。香蘭社のお湯呑や皿は実家がよく使っていたので馴染みがあるということもありました。
店内の商品はもちろん撮影できませんでしたが、素敵な洋館のなかに、オーソドックスなもの、クラシカルなもの、そして現代的なデザインや機能を備えたものなどたくさんの磁器が並んでいました。見せていただくだけで心が踊ります。
更に建物の奥へ進むと、2階は、明治8年の設立から宮内庁御用達であった香蘭社の古陶磁、美術作品などの美術館のようになっていました。
ここで初めて知ったのですが、香蘭社は明治8年の合本組織としての設立以前の明治3年、国の要請を受けて磁器による電信用碍子(がいし)の製造に成功されています。碍子は、支柱に電線を絶縁固定する器具ですが、器としての磁器で生活に利便性と潤いをもたらし、またその技術を使って日本の通信事業の発展に大きく寄与してこられた会社なのですね。おそらく、他の窯元さんもいろいろな役割での社会貢献をされているのでしょうが、今回は香蘭社の歴史の様々な面を知ることができてよかったです。
その後、上有田駅の近くの丸兄商社に行ってみました。武雄からの道で、何度も何度も「陶器のデパート丸兄」という黄色い派手な看板を見かけて、どんなお店なのか気になってどうしても行きたくなってしまったのです。宣伝効果絶大ですね。
入ってみてビックリ。無数の商品がところ狭しと陳列されています。いろんな窯元からのアウトレットというところなのでしょうか。
直感で気に入った一客5,000円程のコーヒーカップ2つと急須を買ってしまいました。庶民には楽しい買い物タイムでした。
有田で最後に訪れたのは、泉山磁石場です。
17世紀初頭に朝鮮人陶工李参平によって磁器の原料となる良質な陶石が発見された日本最初の採掘場だそうです。国内諸大名のみならず、欧州各地の人々をも魅了した有田焼400年の歴史を支え続けた場所。
ここが、今日ここまでの一番の衝撃の場所だったかも知れません。
博物館で学んだ磁器の歴史、有田の古い街並み、器を作る工房の作業、商品として並ぶ美しい磁器などなど、今日見てきたすべてのことの起点がここなんだなという感動。
ここでの採掘作業で命を落としたかも知れないかつての人々の魂が漂っているようでもあります。
この景色をみたことによって有田の旅がきっちり完結したような感慨にひたってしまいました。(たった半日いただけで笑止ですが(^_^;))
立ち寄って本当によかったです。
泉山磁石場の前の道を進んで、次は伊万里に向かいます。
20分程で伊万里市の大川内山に着きました。有田から伊万里への途中の道路沿いにも煙突のある小さな窯元をいくつも見かけました。本当に焼き物の町ですね。
大川内山は秘窯(ひよう)の里と言われ、かつては鍋島藩から幕府への献上品ばかりを作る御用窯が設置されていました。一般の人が手にすることはない最高級品ばかりが製作された特別な歴史を持つ場所だそうです。技術が外に漏れないよう、地区の入り口には廃藩置県の前まで関所が設けられていたとのことです。
山あいの集落、どこまで車で進めるものなのかわからず、とりあえず「登り窯」を見ようと思いカーナビにしたがって付近まで進むもものすごい狭路。進めず下がれず困っていると、前方の大きなお宅から出てこられた男性が、「登り窯ならこのスペースに一時停車して見られるといいですよ。」と案内してくださいました。ご親切に感謝です。
登り窯は思っていたよりこじんまりしていましたが、長い歴史を感じさせる立派なものでした。また神事の意味合いがあるのか、神社でよく見るヒラヒラした白い紙の飾り(紙垂=シデというそうですね)がつけられていました。
その後は、少し戻って伊万里・有田焼伝統産業会館に駐車させていただき、徒歩で散策しました。石畳の坂道に数多くの窯元が軒を並べ、どちらを見ても絵のような美しい風景。静けさと穏やかさの中に、江戸時代からプロたちが生きてこられた場所の独特の空気を感じました。
いろいろな窯元やギャラリーを見ながら散策し、小笠原藤右衛門さんの前まで来たとき面白いことが起こりました。お店から出てこられた男性が「お車ちゃんと停められましたか?楽しんでいただいていますか?」と声をかけてくださったのです。一瞬不思議に思いましたが、そうです、この方は最初に登り窯で困っている私達を誘導してくださった方で、小笠原藤右衛門さんのご主人だったのです。よく覚えてくださっていたと思いましたし、気さくにお声をかけてくださったのも大変嬉しかったです。サービス精神あふれるとてもダンディなご主人でした。
大川内山は時間の関係で行かないでおこうかとも考えていたのですが、それは大きな間違いでした。伊万里イコール大川内山かなとも思うほどとても重要な場所で、行くべきところでした。よかったよかった。
その後は伊万里市の市街地へ。
からくり時計に伊満里津の文字が見えますが、かつてこの川の河口部の伊万里港から輸出された有田焼は、積み出し港の伊万里の名をとって消費地では伊万里焼と呼ばれたそうです。今も昔も世界に繋がる貿易港なのですね。
(佐賀旅行2日目その② に続きす。)
佐賀旅行 (佐賀市〜嬉野〜武雄〜有田〜伊万里〜呼子〜唐津) 1日目
2023.2.7 月曜日 〜 2023.2.9 水曜日
佐賀県に行ってきました。歴史と美味しいものと人の温かさがあふれる魅力的な県でした。訪れた主な目的は、磁器と名護屋城跡と佐賀牛だったのですが、他にも見どころがいっぱい。
仕事の休暇が取れる範囲での強行スケジュールの旅でしたが、行って本当によかったです。
2023.2.7(月) 佐賀市→嬉野→武雄泊
東海道・山陽新幹線で10時11分博多着。
急いで10時19分発の特急かささぎ103号に乗り換え、10時58分佐賀駅に到着
しました。
佐賀駅から13時34分発のリレーかもめに乗車する予定だったので、佐賀市内の滞在可能時間は2時間30分。レンタサイクル?とも考えたのですが生憎の小雨予報。徒歩とバスを利用していそいで市内を巡りました。
まずはお昼ごはんを(^^)。佐賀グルメ情報でよく見かけるシシリアンライスを食べることにしました。佐賀市内のたくさんのお店で提供されているようですが、そのなかから駅から徒歩で10分弱のミール珈屋凪(こやなぎ)さんに向かいました。
平日の11時30分、ランチタイム直前に到着しましたのでまだお席に余裕がありましたが、その後続々とお客さんが来られ、12時過ぎには7.8テーブルはある1階はほぼ満席で2階に上がっていかれる方もありました。2階席もあるのかな?
喫煙可が気がかりでしたが、周りで吸っておられる方もなく、ニオイは全く気になりませんでした。
ごはんに甘辛い味付けの牛肉と温泉卵、野菜サラダがたっぷり乗ったシシリアンライス。ヒデシマライスは卵でくるまれたハム入り炒めご飯にカレーがかかっていました。
どちらも作れそうで絶対作れないプロの味。更にどちらもボリュームがすごい。初めて食べましたが美味しくて満腹で大満足でした。
ちなみに周りのお席のサラリーマンなど地元の方々は、ヒデシマライスかオムライスを注文されている方が大半でした。卵をボールでほぐすリズミカルな音が厨房からずーっと聞こえていました。手作りの味、ごちそうさまでした。
お店を出て、さあ観光。まずは大隈重信記念館方面へ行きたかったのですが、徒歩では厳しそう…とりあえず駅に戻ってタクシーにでも乗ろうかと歩き出しました。
駅に近い道路は広い歩道も整備され、歩くのも快適でした。途中[佐賀の七賢人]の像に出会ったりしながら歩いていると、前方から路線バスが。「ああ、バスという手もあるんだね。」と走行中のバスを軽く指さしたところ、なんと、運転手さんが車外向けのマイクで「お乗りになりますかぁ?」 と呼びかけてくださったのです。
リュックサック背負ってキョロキョロしながら歩いている、見るからに観光客の私たちに、なんて優しいお気遣いでしょう。もしかしたら佐賀市の方には普通の光景なのかも知れませんが、関西在住〇〇年、こんなご親切な路線バスにお出会いしたことはありません。とても嬉しくなってしまいました。
どちら方面へのバスかわからなかったのでとりあえずお断りして、駅に戻り、もうバスに乗せていただくしかない!と思って大隈重信記念館行きのバスを探しました。
整備されたバスターミナル、わかりやすい案内板。本数もそこそこあり、あまり待つこともなく乗車できました。
そして、このバスの運転手さんがまたまたビックリでした。比較的ご年配の運転手さんでしたが、運行中「ご乗車ありがとうございます」から始まって、今日の天候のお話、道路の混雑状況、この先の運行状況予測、今佐賀のバス会社共同で行っているキャンペーンのお話などを、マイクで楽しげにずーっとご案内し続けてくださるのです。もちろん運転はスムーズです。
しまいには、乗客の女子学生さんたちに「あれ、今日学校は?早いね」とマイクで話しかけられ、学生さんたちも「試験でーす」「ああ、期末?」「いえ、入試でーす。キャハハ」とやりとりをされているのです。皆さんなんか楽しそう。バスに乗って良かったな。
そうこうするうちに大隈重信記念館前に着き、運転手さんにお礼を言って降車しました。
大隈重信記念館は、バス停から徒歩5分程の住宅街の中にあったのですが、バス道からの入り口がわかりにくく少しウロウロしました。
記念館は昭和42年に開館し、建物は国の登録有形文化財に指定されています。大隈家などから寄贈された品々や資料が展示公開されており、また敷地内には、大隈重信生家が修復保存されています。入館料は大人330円。
佐賀出身の大隈重信は、内閣総理大臣を2度務められ、鉄道の敷設、円制度の創設、郵便事業、太陽暦の採用、早稲田大学の創設など、日本の近代化の歴史を語る上では欠かすことのできない明治・大正期の偉人。
「人生五訓」で知られる母三井子さんが設けた生家2階の勉強部屋を見学できなかったことは残念でしたが、明治・大正きっての傑物が生まれ育った場所の空気を感じて気持ちが引き締まりました。
大隈重信記念館を出た後、10分余り歩いて佐賀城跡へ。心配していた雨も降らず、寒くもなく道もわかりやすくスムーズな移動でした。
佐賀城は慶長16年(1611年)に完成した鍋島36万石の居城。四重五階構造の天守閣を有していたとのことですが、度重なる火災や明治7年の佐賀の役によって、建物の多くは焼失・破壊され、現在は本丸の門(鯱の門)と続櫓と石垣を残すのみとなっています。
佐賀城公園内には博物館や美術館もあって、いい季節には絶好の散策場所だろうなと思いました。
しかし、もうこのときすでに13時10分過ぎ。まずい!13時34分発のリレーかもめって乗れるの?と慌ててタクシーを探すも空車は来ず、とりあえず駅と思われる方向へ歩いていくとバス停が。焦りながら案内板を見ていると早速1台バスが到着しました。
もう、行き先を確認している間もないので、乗車口から運転席に向かって、「さがえきいきますかあああ??」と叫んだら、「いきますよ!!!(^_-)-☆」と元気なお返事をいただきました。佐賀の運転手さんは皆さんいい方ばかり、安心して乗り込むことができました。
佐賀駅にはギリギリ7分前に到着。バスターミナルから走りに走って(周りの方ご迷惑おかけしていましたら本当に申し訳ありませんでした。)なんとかリレーかもめに乗ることができました。
もっとゆっくり回るべきだった佐賀市に別れを告げ、次は嬉野温泉へ。今日の宿泊は手前の武雄温泉なのですが、一旦武雄を通り越して、先に嬉野温泉へ見学にだけ行ってきます。
嬉野温泉駅は新幹線の開業で新設された駅ですからとてもキレイ。ただ駅前は、ホテルも建設中だったりガラーンとしていて整備はこれからかなという感じでした。
バスも見当たらなかったので2キロくらい先の温泉街までタクシーに乗りました。1,000円弱だったと思います。
一番賑やかなところで降ろしてくださいとお願いしたはずなのですが、あれ?人気(ひとけ)があまりない…。旅館も見かけないし、あたりを散策するとお土産物屋さんや飲食店はあるのですが、休憩中なのか閉業なのかなぜか閉まっているところが多く、予想していた温泉街のイメージと違う…。月曜日の午後2時半だもの、こんなもんかな?と思いながら、公園の足湯にだけ入って、駅まで歩いて戻ることにしました。
でも、駅まで歩く途中で見つけたお店がとてもよかったです。
まずは、嬉野茶のお店。中山製茶舗さん。女性のお店の方お二人がとても丁寧にお茶の葉の説明をしてくださって、美味しいお茶を試飲させていただきました。
買って帰って自宅で淹れたお茶もとても美味しかったです。とてもお薦めのお店です。
次は、末廣屋菓子舗さん。「ひき茶ふりあん」というお菓子を購入しました。
きれいな緑色、お茶の香りの四角いフィナンシェのようなお菓子。中身はしっとり、端はサクサクでとても美味しく、皇室に献上されたこともあるそうです。
お試しなので少ししか買わなかったのに、ご主人が大変丁寧に対応してくださいました。
そして番外編は、購入はしていないのですが、駅までの道中にあったスーパーで見つけたもの。旅行に行くといつもご当地の珍しいものを求めて地元のスーパーに入ってみるのですが、今回も発見がありました。
ブラックモンブランが佐賀県の会社が作られたアイスとは存じませんでした。しかもすでに50年以上の歴史があるとのこと。おいしいから続いているのですね。
そして、初めて見たのが「温泉とうふ調理水」! このスーパーでは1袋39円で販売されていました。この水でお豆腐を煮るとお湯が白濁してトロトロの温泉湯豆腐になるとのこと。こちらでは一般的なのか複数のメーカーの商品がたくさん積み上げられていました。
食べてみたい!!嬉野温泉街では湯豆腐のお店閉まっていて食べぞこなったし、と思ったのですが、どう考えても冷蔵状態を保って家まで持って帰ることは困難なので、迷いましたが購入を断念しました。
ブラブラあちこち見たり買ったりしながら歩くこと1時間。嬉野温泉駅に戻ってきました。
16時07分発の新幹線かもめ40号に6分間だけ乗って武雄温泉駅に向かいます。6分で運賃・自由席特急券合計1,150円。新幹線以外の公共交通手段がない区間なので仕方ないですね。でも、嬉野温泉駅の新幹線券売機が現金以外使えなかったのはどうなんでしょう???もっと遠くに行く場合も現金だけなんですね。なにかご事情がおありなのでしょうがせめて交通系ICカードは使える設定にしていただけるといいなと思いました。
16時13分武雄温泉駅に到着。宿泊は、駅前徒歩1分の「セントラルホテル武雄温泉駅前」を予約しておきましたのでそのままチェックイン。ビジネスホテルですが、リニューアルされて数年とのことで施設はキレイ、露天風呂付き天然温泉の大浴場もあり、無料朝食も十分な品数で、寝るだけには充分満足なホテルでした。
部屋に荷物を置いて、すぐ武雄市内の散策に出かけました。
駅から西北西の方向に歩いて10分ほどで、坂道の頂上に武雄温泉楼門が見えてきました。手前は徐々に上り坂、温泉客向けの昔ながらのスナックが並ぶ通りがあったり、道沿いに温泉旅館も数軒あったりして、温泉地の風情に気分が上がります。
武雄温泉楼門は、大正4年建築。設計は東京駅赤レンガ駅舎の設計者として有名な佐賀県唐津市出身で近代建築の父とも呼ばれる辰野金吾によるものだそうです。
楼門の奥には、楼門と同じく国指定重要文化財の武雄温泉新館と、一般の人が入れる入浴施設があって、ウィークデイの夕方ですが駐車場がいっぱいになるほど賑わっていました。
17時30分。入浴はせず、迫ってくる夕闇に焦りながら武雄神社に向けて歩きだしました。大きな幹線道路沿いの歩道を歩くこと20分弱。武雄神社にたどり着きました。途中、道が正しいのか心配になって、すれ違った女子高校生さん3人組にお尋ねしたところ、大変感じよく「あの横断歩道の右側が神社の入り口です」と教えてくださいました。ありがとうございます。
武雄神社は、武内宿禰(たけうちのすくね)を主祭神とし、天平3年(735年)創建の御船山の山麓にある神社。神社のHPによると、神功皇后が三韓征伐の帰途、武雄に兵船を停めそれが御船山に化した。そこで同行していた武内宿禰らが御船山に鎮座し創祀されたとのこと。ホテルの部屋から見えていた特徴的な形の山が御船山だったのですね。
そして、有名なのが神社内にある武雄の大楠。推定年3,000年とも言われるこの御神木を一度拝見したいと思ってやってきました。
本殿にお参りしたあと、案内表示に従って本殿左の上り下りのある道を進むこと3分あまり。時間が遅すぎたこともあって薄暮のなか、言い表し難い押しつぶされそうな空気を感じながら歩いた先の、右手少し高くなったところに大楠がありました。
規制されていてそばに近づくことはできませんが、高さ30㍍、幹回り20㍍という御神木からは、得も言われぬ神聖な力が放たれているようでした。お参りをさせていただき、来た道を戻ってきました。
神社を出ると18時を回っていました。今日最後の目的地、武雄市図書館へ。
神社からは徒歩で5分程度。神社からだとまず、2階がパンケーキのカフェになっている武雄市こども図書館が見えてきて、その奥に武雄市図書館がありました。
こども図書館は18時で閉館していて入ることはできませんでしたが、武雄市図書館はなんと21時まで開館中。大変多くの利用者で賑わっていました。
武雄市図書館は、10年ほど前にリニューアル開館したとき、市の委託で指定管理者として民間企業が参入するという画期的な運営方法が、賛否両論あることも含めて随分話題になりました。お洒落な外観、内装とともに図書館内にカフェがあってお茶を飲みながら本が読めるという当時では驚くような利用方法がニュースやワイドショーでもよく取り上げられていました。
以来ずっと一度見てみたいと思っていたので、今回立ち寄ることができてよかったです。
館内はとても広く、物販コーナーとカフェが手前にあり、その奥や2階に書棚や閲覧場所がありました。図書の閲覧だけでなく自習室も充実していて、この時間にもかかわらず中学、高校生からご年配の方まで幅広い年齢層の方が、思い思いに読書や学習をされていました。
驚いたのは、こんなに広くていっぱいの利用者がいるのに、館内があまりにも静かなことです。私語をして騒ぐ人などもちろんなく、カフェの食器を扱う音が館内に響くほどの静けさ。皆さん各々の学習にとても集中しておられて、佐賀の方々の知性の高さを感じました。
外に出ると19時前。あたりは暗くなり始めていました。
夕食を摂る時間になりましたが、お昼に佐賀市でがっつりいただいたシシリアンライスや道中で食べたお菓子がまだお腹にたまっていて、軽いものでいいなあという状況。
とりあえず図書館から大きな道を挟んだ向かい側のショッピングセンターに入ってみました。
食品コーナーを見て歩いたあと、ん?フードコートがあるよということで、旅の一日目の晩ごはんはここで各々軽食を食べて終了いたしました(^_^;)
お腹もいっぱいになり、駅前のホテルまで20分弱、ぶらぶら歩いて帰りました。
2月の夜ということでさすがに少し寒かったけれど、住んでいる関西地方よりは暖かく感じました。図書館から出てきた学生さんたちはコートも着ず制服だけで元気に歩いておられました。
一日目が終了しました。
万歩計をつけておけばよかったかなと思うほど歩き回りました。天気予報に反して傘も不要でラッキーでした。
旅ではいつもあまり細かすぎる計画を立てることはないのですが、今日も見たいと思っていたものは概ね見ることができました。どの場所も大変素晴らしく、楽しい一日でした。
明日はレンタカーで有田から唐津まで移動する予定です。お天気は晴れの予報。当たるといいな。では、おやすみなさい。
(佐賀旅行2日目 に続きます。)
ゴルフコンペ
2023.4.2 日曜日
社会人になって最初に入った会社の同期会のゴルフコンペに参加してきました。花粉さえなければ最高のゴルフシーズン、天候にも恵まれて、自分のスコアはともあれ楽しい一日でした。
〇十年のお付き合い、皆それぞれ年齢と経験を重ねて変わっていく部分はありますが、元気に集まれるのはありがたいことですね。幹事さんありがとう。
今回のゴルフは参加者が少なくこじんまりしていましたが、世の中の状況もみながらコロナ前のような盛大な同期飲み会も復活できるといいな。
皆さん、またご一緒させてね(^_-)-☆
お琴の発表会
2023.2.26 日曜日
大阪中之島の国指定重要文化財大阪市中央公会堂で催された琴の発表会に参加しました。
琴は習い始めてまだ1年半。発表会に出るのも2回目です。着物の着付けやヘアセット、演奏前の慌ただしい調弦など不慣れなことばかりでとても緊張しました。
しかしながら、100年以上にわたり、会議やコンサート、結婚式やライトアップイベントなど大阪の文化・芸術の発展に深く関わってきた歴史ある建物で演奏させていただけるのは大変ありがたいこと。導いてくださる先生に感謝しながら演奏してきました。
今回は発表会ということで、鑑賞は出演者の家族限定の内輪の会でしたが、5月には一般の方もご来場いただけるコンサートがあります。練習を重ねて、緊張せずいい演奏ができるよう精進したいと思います。
大江能楽堂見学
2023.2.18 土曜日
「まいまい京都」という京都ミニツアーの企画で京都市中京区にある大江能楽堂を見学してきました。午前10時集合、参加者は20人程でした。参加費は一人4,000円。
能の公演鑑賞ではないのですが、大江能楽堂8代目当主の能楽師大江信行さんに、能の歴史や、能面・装束・楽器・謡など芸能としての特徴、そして能舞台や能楽堂についてなど、いろいろなご説明をお聞きしたあと、客席やバックヤードをご案内いただいたり、実際に舞台にあがって能面や装束をつける体験をさせていただいたりしました。
最後は、ご当主による「高砂」の仕舞のミニ実演を拝見して12:00過ぎに終了。二時間あまりがあっという間の楽しい企画でした。
約650年前、室町時代に観阿弥が始めた能は足利将軍家の庇護のもと、子世阿弥によってより高度な芸術性の高いものへと発展していきますが、江戸時代になると幕府は「国の正式な芸能は能」という方針を打ち出します。これは、ある程度の教養なくしては楽しめない能が知識人であるべき大名の嗜みであるということとともに、各藩に能舞台の建造、能面・装束などの作成・維持、能楽師の雇用などの財政的負担を掛けることで軍事力を低下させるという幕府の目的があったとのことです。参勤交代と同じですね。
旅行先の城や神社でよく見かける能舞台には、このような意味合いを持って作られたものもあるということは大変興味深いお話でした。各地の能舞台は、現代でもきれいに維持管理されているものや、朽ち果てる寸前のものなどさまざまなように見受けますが、宮崎県の延岡城には多くの能面が残されていたり、広島県の宮島、厳島神社の能舞台は重要文化財に指定されていて大江家の方々も公演に行かれるとのことでした。
また、大江能楽堂は、明治41年(1908年)に建てられた京都で最も古い能楽堂だそうです。同時期に存在した能楽堂として観世能楽堂や金剛能楽堂がありますが、戦争の影響で観世能楽堂は河原町丸太町から岡崎へ場所を替え名称も観世会館と改称し、金剛能楽堂も元の場所からは移転しています。
大江能楽堂も戦時中は疎開先にもなっていて、あと半日、太平洋戦争の終戦が遅かったら、取り壊されていたかもしれなかったそうです。
規模の変更や基礎の改修をしながらも、同じ場所で114年間、日本独自の芸能を伝え続けてきた建物には、凛とした風格と神聖な空気が宿っているように感じました。ありがとうございました。
終了後、冷たい小雨のなか、能楽堂から東へ徒歩5分程のピザ屋さん「シナモ」へ。今日の催しに誘ってくれた40年来の友達Kのお嬢さんに教えてもらったお店。能楽堂の余韻から一気に現実に。
サラダ、コーンスープ、四角いピザ1枚、ドリンク、デザートで一人2,500円。帰る頃には満席に。予約しておいてくれてありがとう。
Kとは1ヶ月ぶりに会ったので今日の感想に始まり、おしゃべりがとめどなく続き…。楽しいひと時でした。